先日、子どもの「躾(しつけ)」について妻と話した内容をブログで再現してみました。
一部表現が不快と感じるかもしれませんが、子育て中のリアルですので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
注:2020年1月にリライト。なるべく読みやすくなるように加筆修正しました。大筋の内容は変えていません。
もくじ
教育と調教の違いとは?
もうすぐ2歳になる息子の「噛みグセ」に困っています。(当時)
言葉のアヤとかじゃなく、文字通り「噛みついて」きます。ガブっと。
2歳児にはよくあることらしいですが止めてほしいです。(本気で痛いので)
親だけならまだしも、外で他の家の子どもを噛んだら大変です。
息子の「噛みグセ」について妻との対話
とはいえ、言葉も分からない1歳児に「痛いからやめてね」と言い聞かせても理解できません。
噛まれたとき、オーバーリアクションで痛がって見せましたが、息子は面白がるだけで、一向に噛むのを止めてはくれません。
困り果てて妻と相談。こんな提案をしてみました。
駄目!そんなのまるで調教じゃない!
「教育」と「調教」
みなさんはどう思いますか?
ぼくとしては、言葉が通じない段階の子どもには何か「動物的なアプローチ」が有効なのではと思っての提案でした。
しかし妻には「そんなのは調教だ」と、強く否定されました。(つねると言っても、あくまで軽くで「フリ」みたいなつもりだったんですが)
ぼくは言葉できっちり説明されないと納得できない(我ながら面倒くさい)人間なので、自分で調べて考えてみました。
言葉の意味の違い
子どもを育てることを「教育」と呼ぶことは誰でも知っていると思います。
「躾(しつけ)」という言葉も使います。(最近ではあまり聞きませんが)
対して「調教」は何となく動物的というか、非人道的な響きを感じます。
辞書的な意味の違いを調べてみました。
教育
人を導いて善良な人間とすること。人間に内在する素質,能力を発展させ,これを助長する。人間を望ましい姿に変化させる活動
躾
社会生活に適応するために望ましい生活習慣を身につけさせること。しつけの目標は、社会生活の秩序を守り、みずから生活を向上させていくことのできる社会人に育て上げること
調教
動物に情緒的な働きかけをし、特定の人の命令にしたがい、一定の行為を行わせるようにする訓練の過程
すべてコトバンクより
調教は「飼いならす」ってことですね。
やはり人間に対しては使わない言葉のようです。
だからこそ妻は、子どもに痛い思いをさせて言うことを聞かせることは「教育ではなく調教(だから絶対にいけない)」と言ったんだと思います。
罰には一時的な効果しかない
人間(ましてや自分の息子)に対し、そのような方法を提案した自分の短絡的な考えを深く反省しました。
しかし、その上でぼくはこうも考えています。(誤解を恐れずに言います)
躾と調教の目的は同じなのでは?と。
躾と調教の目的
だから、ぼくら親は「教育」をしなければいけない、ということです。
教育は「言葉や行動によって導く」のに対し、調教は「ご褒美と罰(アメとムチ)で従わせる」という違いがあります。
「怒られたくないから言うことを聞く」のでは一時的な効果しかないはずです。
親がいないところではやっているなら意味ないですよね。
ご褒美も、ある意味の調教?
「情動的な働きかけをして特定の行為をさせる」のが調教であるなら、「宿題ができたら(あるいはテストで良い点とったら)、欲しがっていたオモチャを買ってあげる」
これも調教になるはずです(広義では)。
なぜなら、痛みや恐怖心で迷惑になる行為をやめさせるのも、ご褒美(エサ)でやりたくないことをさせるのも、両方とも調教だからです。
エサ(ご褒美)がないと宿題をしないなら、始めからやらないほうがマシだと思います。
教育(しつけ)と調教を混同している人も多い?
ぼく自身の子ども時代を振り返ると、教師や大人の中にも教育(しつけ)と調教を混同している人は少なからずいたと記憶しています。
特に運動部の顧問をする教師に多かったような。サッカーの練習中に疲れて足が止まっている生徒を怒鳴って走らせるコーチがやっているのは、調教に近いのではないでしょうか?
ぼくは中学時代は柔道部に所属していましたが、試合に負けると正座させられて説教する顧問がいました。部活は最後まで好きになれませんでした。
「できるようになる」が喜びになるように
話を最初に戻します。
それなら、親はどうやって子どもの能力を伸ばしたり、迷惑な行動をやめさせればいいのでしょうか?
それは「自発的にできる心を育むこと」だと思います。
できなかったことをできるようになるのが、人として素晴らしい、と辛抱強く教えていくしかないのだと思います。
「噛まれると痛いし嫌だからしないでほしい」
(言葉は通じなくても)伝え続ける。
それで止めてくれたら「よくやめられたね!」と褒めて喜ぶ。
それを続けていけば、子ども自身が分かるようになるんだと思います。
後日談:この後息子の「噛みグセ」はすぐになおりました。
このブログ記事を書き直すために読み返していて「そういえばそんなことあったな~」と思いだしたくらいです。
ちょっと気難しいところもありますが、息子(現在3歳)はとても健やかに成長しています。
まとめ
- 教育は言葉や行動によって教えること
- 調教はアメとムチによって従わせること
- 「宿題やったらオモチャ買ってあげる」ことも広義では調教
- 教師や親にも教育と調教を混同している人がいる
- できるようになることが嬉しいことになるように伝え続けるのが本当の教育
「調教」という言葉に拒否反応を示す人もいるのは承知の上で、あえて使いました。
教育(しつけ)と調教の違いは「喜びによって導くか」と「恐怖によって押さえつけるか」。
「調教なんて人間に使う言葉ではない」とヒステリックに叫ぶ人の中にも、子どもがいけないことをした時に怒鳴って言い聞かせようとする人がいます。
それが「調教ではない」という根拠はどこにあるのでしょう?体罰さえしなければOKなのでしょうか?
怖がらせて言うことを聞かせる。それはブラック企業や暴力コーチと同じではないでしょうか。
真の教育とは「喜びによって人を変化させること」。
実践するのはとても難しいです。自分が親になってそれを思い知りました。
雑なまとめ方になってしまいますが、ぼくらができるのははたぶんこういうことです。
親も子どもと一緒に成長すること。
おわります。
参考記事:立石美津子 子どものしつけ“動物の調教”ではない 日経DUAL
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