「世界を半年ROM(ロム)れ」
20年ほど前にインターネットの巨大匿名掲示板で見かけた書き込みです。
「程度の低い未熟な意見を披露する前に、もっと世の中を見てくれば?」的な意味で使われていたと記憶しています。
単に「半年ROMれ」と書き込まれるときは、場の空気にそぐわない書き込みをする人に「適切な発言をできるように、ここでのやり取りをしばらく黙って眺めていなさい」という意味が込められているときもありました。
空気嫁(空気を読めよ、の意味)もありました。用法は似てると思います。
どちらも日本的な同質性を求める意見で、ぼくは好きじゃなかったです。
いずれにしても、「半年ROMっとけ」などと偉そうに書き込んでいたのは、おそらく中年の暇なサラリーマンか、引きこもりの中年でしょう。(偏見なことは承知してますが)
その中年のオッサン(たぶん)たちがどれだけ「世界」のことを分かっていたのかは疑問ですが、言い回し自体は面白いです。
考えた人はなかなかセンスありますよね。
当時のぼくも「ロム専」だったのですが。
ROM専とは?
ロム専(ロムセン)「Read Only Member」(リードオンリーメンバー)の略。SNSなどを見ているだけで、書き込まない人のこと。
「ロムる」や「ROMってる」のように活用する。
日本人はROM専の割合が高く、特に若い女性に多いという。
長らく「ロム専」だったぼくが最近になってブログやTwitterで「発信」するようになって気づいたことがあります。
もくじ
ツイッターROM専(見るだけ)10年!⇒ ブログ100記事までのリハビリ方法。
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ROM歴11年
ぼくがどのくらいROM専を続けていたのかというと、10年以上です。
正確には11年。(2007年から2017年まで)
その間一切発信をしませんでした。
なぜ発信をやめ、11年後に再開することになったのかというと、挫折していたからです。( 色々ありました。詳しくはプロフィールページをどうぞ)
立ち直るのに11年という年月が必要だった、と自分では解釈しています。
まさにROM専
発信をしていない間も、他の人の書いた記事は貪るように読んでいました。
ブロゴス、Yahooニュース、SNSから匿名掲示板まで。気になるものはすべてブックマークして(古いですね)読んでいました。
読むだけで投稿はしない。まさに「ROM専(ロム専)」です。
ROM専のときの心理
一度は「発信」をしていた人間がROM専(ネットで沈黙)している間、何を考えていたのか?
自分の意見や感想などをネット上に発信して誰かに伝えようとは思わなかったのか?
ROM専になったことがない人は不思議に思うかもしれません。
でも、まったく発信したいとは思いませんでした。
以前に更新していたのは、いわゆる「ネット日記」みたいなもので、読者はほとんど知り合い。
今やっているような「不特定多数を意識した発信」とは考え方が違います。(今もフォロワー数は少ないですけど)
当時は、テレビを見ているような感覚でネット記事を読み続けていました。
世界を11年ROMって分かったこと。
そんなぼくですが、発信活動を再開して分かったことがあります。
一言で言い表せます。
ROMっていても、人はどこへも行けない。
これにつきます。
インプットだけでは成長しない
インフルエンサーのブログや動画をたくさん見ても、著名人の書いた本を読んでも、NewsPicksのサブスクリプション(月額)を払っていても、
「インプットだけでは人は成長できない」ということです。
人はアウトプットによって変化します。
思考を言語化し、自分の表現の拙さに絶望し、それでも別の言葉を探してまた言葉にしていく。
アウトプットの過程で人は変化し成長していきます。
もう少し上手くなってから発信しよう?
この記事を読んで下さっている中に
「インプットだけでは意味がないのはわかる。でも今のレベルでは恥ずかしくてアウトプットできません。だからもう少し勉強して上手くなってから発信を始めようと思ってます」
と考えている方がいるかもしれません。
厳しい言い方ですが、そのスタンスだと一生あなたは発信しないと思います。
アウトプットはとにかくやらないと上達しません。
それと「発信することの恥ずかしさ」は上手くなっても変わりません。
みんな恥ずかしさや不安を抱えながら自分の意見を発信しています。(だんだん慣れて麻痺してくる部分もありますが)
ぼくは未だに自分の書いているものを読み返すと、「うわ、なんて下手くそな文章だろう。内容も酷いな」と消え入りたい気持ちになることがあります。
でも記事を削除したりはしません。
次はもう少し良いものを書いてやろうと思うだけです。
誰もあなたのことなんて気にしてない
もうひとつ、ぼくがROM専をやめてわかったことがあります。それは
世の中の人は、「自分のことなんて誰も気にかけていない」ということです。
多少激しい発言をしようと、斬新で革命的な(と自分では思えた)ツイートをしようが、まったく誰も反応してくれません。
気にしていないし、それ以前に目にも止まっていないのです。
無名の一般人は、驚くほど見られていないのです。比喩とかではなく、「ネット上では無名の人は透明人間と同じ」くらいに考えていてもいいと思います。
だとしたら、「こんなこと言って誰かにバカにされたらどうしよう」と発信を躊躇するなんて意味のないことだと思いませんか?
あなたが話そうが黙ろうが、ネットの世界は巨大すぎてほとんど誰の目にも留まりません。
であれば、思ったことを言葉にして発信していく方が、人生は楽しくなりそうです。
そう思って、ぼくは発信活動を始めました。
あなたの人生が今よりずっと楽しいものになることを陰ながら祈っています。
おわります。
ツイッターなどのSNSで「足跡」を気にするROM専の心理。
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